たかだか36年しか生きていない若輩者ですが、最近気になるテーマなので書いてみます。
私は「鬱」は病気ではないと思っています。
気分が落ち込むとき、盛り上がるときだれだってあると思います。
その周期は人それぞれ、その時々。
昨日落ち込んでても、明日元気になったり。
恋人にふられて半年落ち込んだりもしますよね。
一年落ち込んだりするかもしれません。
「山木君最近くらいよね。どうしたの?」
ほっといてください。これが本当の俺なんです。
真のすがたなんですから。
てな感じで
そのバイオリズムは人それぞれだと思います。
こんなイメージ。
その深さも人それぞれ。
深すぎるから、長すぎるから。病気だなんて言えないと思います。
「病気と行ってもらった方が楽になれる」
という人も聞きますが、もし私だったら病人として見て欲しくないです。
自分は病気なんだと思ったら余計に落ち込むから。
「そうなった人にしかわからない」
と言われればそれまでですけど、そんなこと言ったらなんだってそう、みんな同じ。
だれも本当の自分の事なんかわかってくれない。みんなそうなんだからそれでいいじゃないですか。お互い様。
落ちる人はどんどん落ちればいいと思います。自分を信じてどんどん落ちて、落ちて、落ちたら、
生きる!!!
と、なるはず。
そう思っています。
もしそこで
死のう!!
となったとしたら、その人は、死に対する想像力が欠如しているか、大脳新皮質だけが我と思っている頭でっかちな人なので、我が農園で馬車馬のように働かせて、三食とれたての野菜汁やら飯やらを一緒に食べたい。
と、まあこんな風に、「あるよねー」っと、「うつ」をとらえているわけです。
わたしも、こうみえて、見たことのない人の方が多いかもしれませんが、落ち込みやすい性質でして、いろいろ試行錯誤のすえ、たどり着いた落ち込みの対処法を書いてみます。
1.太陽のような人の近くにいる。
2.目線をうえにあげる。
3.「あたりまえ」と思うことは間違いだということを思い出す。
4.好き、嫌いの価値基準を明確にする。
5.自分が考え得る最悪の事態を想定し、それ以外の事は大したことがないと認識する。
私がひどく落ち込んでいるときにも、太陽のように輝いている人はいるもんでして、
大概そんな人といると気分は盛り上がって行きました。
心と体は連動していて、目線を少し上にあげて、鼻歌でも歌ってみると、あら不思議。
私が考える最悪の事態は、自分のせいで、親しい人が回復不可能な傷を負うことです。それ以外の事は取るに足らないことだと断言します。
0 件のコメント:
コメントを投稿