三つ豆ファーム

豆を播くときは三粒ずつ播け。

    一つは、土の中の虫たちのために。    一つは、空を飛ぶ鳥たちのために。     そしてもう一つを、我々人のために。


2013年12月14日土曜日

「うつ」についての私の考え

たかだか36年しか生きていない若輩者ですが、最近気になるテーマなので書いてみます。


私は「鬱」は病気ではないと思っています。


気分が落ち込むとき、盛り上がるときだれだってあると思います。
その周期は人それぞれ、その時々。
昨日落ち込んでても、明日元気になったり。
恋人にふられて半年落ち込んだりもしますよね。

一年落ち込んだりするかもしれません。

「山木君最近くらいよね。どうしたの?」
ほっといてください。これが本当の俺なんです。
真のすがたなんですから。

てな感じで
そのバイオリズムは人それぞれだと思います。
こんなイメージ。


その深さも人それぞれ。
深すぎるから、長すぎるから。病気だなんて言えないと思います。

「病気と行ってもらった方が楽になれる」
という人も聞きますが、もし私だったら病人として見て欲しくないです。
自分は病気なんだと思ったら余計に落ち込むから。

「そうなった人にしかわからない」
と言われればそれまでですけど、そんなこと言ったらなんだってそう、みんな同じ。
だれも本当の自分の事なんかわかってくれない。みんなそうなんだからそれでいいじゃないですか。お互い様。


落ちる人はどんどん落ちればいいと思います。自分を信じてどんどん落ちて、落ちて、落ちたら、

生きる!!!

と、なるはず。
そう思っています。

もしそこで

死のう!!

となったとしたら、その人は、死に対する想像力が欠如しているか、大脳新皮質だけが我と思っている頭でっかちな人なので、我が農園で馬車馬のように働かせて、三食とれたての野菜汁やら飯やらを一緒に食べたい。


と、まあこんな風に、「あるよねー」っと、「うつ」をとらえているわけです。



わたしも、こうみえて、見たことのない人の方が多いかもしれませんが、落ち込みやすい性質でして、いろいろ試行錯誤のすえ、たどり着いた落ち込みの対処法を書いてみます。


1.太陽のような人の近くにいる。
2.目線をうえにあげる。
3.「あたりまえ」と思うことは間違いだということを思い出す。
4.好き、嫌いの価値基準を明確にする。
5.自分が考え得る最悪の事態を想定し、それ以外の事は大したことがないと認識する。



私がひどく落ち込んでいるときにも、太陽のように輝いている人はいるもんでして、
大概そんな人といると気分は盛り上がって行きました。

心と体は連動していて、目線を少し上にあげて、鼻歌でも歌ってみると、あら不思議。

私が考える最悪の事態は、自分のせいで、親しい人が回復不可能な傷を負うことです。それ以外の事は取るに足らないことだと断言します。